インターネットは正直面白くない 惰性のインターネット インターネットでだらだら時間潰し 「さよならインターネット」 「世界旅行者みどりのくつしたの部屋のURL変更」
セックスレス亡国論 ネットが面白くない理由 まず書いてみる生活 データは自分のサイトで管理 クロスワードパズルは面白い 友達への連絡 
「地球の歩き方」 4travel 旅仲間募集は必ず失敗する 「毛沢東」 ブッダはなぜ女嫌いになったのか サービス終了 アクセスカウンター SNSはすべて滅びる

世界旅行者のひとりごと・目次 END
□ SNSは、すべて滅びるだろう。
今日、「ツイッターは潰れかけている。会社を売ろうとしても買い手がいない。」という記事を読んだ。
そりゃそうだろうと思うよ。
僕はツイッターが何か革新的なことをやっているなんて、ちっとも感じないからね。
例えば、最初に成功した(と言われているらしい)SNSの「MySpace」には、噂が出てすぐに参加したが、つまらなくて放りっぱなしにしているうちに、辞めた。
ひょっとしたら辞めてないのかもしれないが、使わないで放ってある。
そのうちに、パスワードを忘れて、アクセスできないままになったと思う。
僕はかなりのサービスに率先して参加するが、つまらないとすぐに離れる。
ツイッターは、最初から違和感があった。
「トイレにいる。なう」なんて書き込みを、読む人がいるとは思えない。
ただ、僕は別の方向で使っているので、他人のくだらないカキコなんかは読まないで済んでるけどね。
正直、SNS自体に、疑問を持っている。
友達と常につながっていて、言葉のやり取りをする意味が分からない。
mixiもGREEも参加したが、つまらないのでやめた。
僕はネットで、知らない人と連絡を取ってうれしがる人間ではないということ。
mixiで一番面倒で、気をつかうのはそこだった。
僕が何か意見を書くと、「その通りです」と書く人がいた。
僕の意見は僕の意見だが、別に同調してくれなくても構わない。
せっかく書いてくれたからと、返事を書くと、またコメントを付けてくるわけだ。
直接会ったこともない、知らない人と、仲良しになる意味が分からない。
僕は別に、会話をするのがうれしいわけでも、なんでもなく、会話をするなら電話で話をしたり、直接会ってビールを飲むほうが好きだ。
SNSというのは、そういった友達作り、仲間作りのシステムなのだろうから、僕には無関係だ。
いまツイッターとGoogle+を使っているのは、僕の旅行記を紹介するためだけだ。
それでいま、アクセスも適当にあるので、利用する価値がある。
自分の旅行記の宣伝にはなっている。
ネット上での友達作り、という意味でのSNSは、そろそろ化けの皮がはがれているのでは?
現実社会で、友達ができない人が、SNSをやったところで、時間の無駄だと思う。
それくらいなら、なんでもいいから、趣味の教室に通ったり、地域のサークルに入ったりして、現実の人間関係を作ったほうがましだ。
ちなみに、僕に興味を持った人は、海外旅行の話を聞きたいと書いて、連絡くれれば、その文章の内容によっては、銀座のライオンでビールを飲むこともありますよ。
ビール代は、5000円程度で、軽くおごってくれるだけでいいです。
以前、「タイトルに『おごります』と書いたメールを送れば会ってもいい」と書いたことがあるが、送られてきた文章に熱意が感じられないので、無視したこともある。
そこを考えて、「1万円までおごります」とか、もう一歩踏み込んだメールを書かないと、ダメなんだよ。
僕が「おごりますというタイトルのメールを送れば、会ってもいい」と書いてるってことは、裏の意味は、「おごりますだけではダメ」ってこと。

そのくらいの洞察力のある人でなければ、会っても面白くない。
僕に会いたいなら、頭のいいメールを書いてみてください(笑)。
□ ネットでは、アクセスカウンターがはっきりわかれば、それでいい。
ネットでは、結局は、「自分が書いたものがどれだけの人に読まれているか」だけが問題だ。
僕の場合は旅行記がメインだが、誰も読んでくれなかったら、わざわざ手間のかかる文章は書かない。
自分の記憶をはっきりさせるために、旅行記を残しておくってこともある。
例えば、〇〇という町に行ったのは何年の何月何日だったか、それをわざわざ調べようとする。
その度に、旅行ノートを見つけて、旅行ノートを開いて、細かい文字で書いてある内容を、読み返すなんて、本当に大変な作業だからね(やったことあるけど)。
旅行記に読者がいるのかどうかによって、書く内容も、表現方法も変わってくる。
実は僕の昔の旅行記は、下ネタたっぷりで、冗談が詰まっていて、バカバカしくも知的で、大人気だった。
これを、「みどくつ節」と言って、知的な人には、ものすごくウケていた。
ところが、ネットには、普通の人もいる。
話の面白くない、頭の固い人たちがいる。
そういう人たちとは、現実世界では最初から生きる世界が違うので、互いに無視していればいい。
ところがネットでは、そういう人はやることがないので、文句をつけてきたりする。

一時期は、そう人たちの存在が嫌になって、サイトを更新しなかったこともあるよ。
でもその影響があって、現在はできるだけ、表現を抑えてある。

本に書くときは、思う通りのことが書けるんだけどね(笑)。
旅行記を自分だけのメモとして残しておくのならば、ホームページを作っても、それを公開しなければいい。
やはり自分が旅をしたことは、誰かに知ってほしいから、公開している。
どうせ公開するならば、いったい何人が読んでいるのか、というのが知りたい。
自分の旅行記を何人が読んでいるか、それが単純明快に分かれば、スッキリする。
僕がやめた「はてな」は、その点では非常に分かりやすかった。
アクセス解析で、アクセスした人の、サイトまでわかったからね。
アメリカの某大学からアクセスしている場合、僕の友人の〇〇君だとすぐに分かったものだ。
今のニフティのサイトでは、それがわからないので、不十分な形だが、カウンターを付けている。
ニフティのサイトは、もともとそんなものだから、気にもならない。
SNSのGoogle+やツイッターは、もっとわかりやすくできるはずだが、それをしていない。
特にGoogle+は、僕のフォロワーが「54」人で、しかもそれが2年くらい、動いてない。
これはいくらなんでもおかしい。
読者は通常は、一日300から500人いるんだから。
でも、それを知るためには、面倒なことをしなければならない。
ツイッターのフォロワーは、240程度をうろうろしているだけだ。
フォロワーは、実質的には、意味がない。
わざわざフォローしなくても、誰でも読めるんだから。
Google+やツイッターのトップページに、カウンターが付いてればスッキリわかりやすいはずだ。
なんでこんな簡単なことができないのだろう。
何かを隠蔽しているとしか思えない。
フォートラベルの場合は、一つ一つの旅行記別に、一日に何回アクセスがあったかまで、わかるようになっている。
これもあまりに細かいことをチェックする気もないので、単純に、サイトのトップにアクセスカウンターを付けたらいいと思うんだが。
僕の希望は、すべてのサービスにカウンターを付けてほしいだけ。
アクセス解析までは、つけなくてもいい。
こんな単純なことがなぜできないのだろう。
できるに決まっているが、隠している理由は何だろう??
□ ネットの個々のサービスは、いつか終了するので、使わない(メインにしない)ほうがいい。
僕は今、「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」をメインにして、僕の旅行記や旅行技術論を書いている。
別に「世界旅行主義」といううサイトも持っていて、こちらは主に、日記を書いている。
この二つのサイトは、自分でサイトを構築しているので、どのネットサービスの世話にもなっていない。
フォルダーごとアップロードすれば、すぐに全部をそのまま別のサイトで見ることができる。

日記を書くにしても、ブログに書いたりはしていない。
この理由はだね、ブログに日記を書いたとしたら、ブログサービスが終了するときに、日記も失われてしまうから(笑)。

これは、僕は何回も経験してきた。
あるサービス(ブログ)全体の人気がなくなっていって、誰もアクセスしないようになる前に、僕はそこを見捨てて、別のサイトに移る(例:パソコン通信のニフティサーブ)。
その時に自分の書いたものを消すかどうか、僕は消さない主義なので、中途半端な形の文章が、ネットのあちこちにあるようだ。
自分でも偶然自分が作ったサイトや、ブログの書き込みを見て、びっくりしたりする。
確かMSNのサイトで、昔のパソコン通信の会議室みたいなものがあって、そこで適当に人を集めてワイワイやっていた。
この時代は、「世界旅行者協会のさとみちゃん」がいたので、オフ会も数か月に一度くらい開いてたかな。
MSNの会議室みたいなのは、あんまり流行らなくて、消滅した。
そのあと、mixiもやったなー。
ただ、僕が他の人と違うのは、ネットで友達を作ることには興味がないこと。
別にネットで親しい人を作る理由がないし、実際、ネットでは友達は作れないからね。
ネットで知り合った人に声をかけて、5千円ほどおごってもらって、話をすることは時々あるけどね。
いまはせいぜいその程度だね。
僕がネットサービスを信用してない例としては、例えば「はてな」があるよ。
僕は以前、はてなで旅行記をさっさと下書きして、それを推敲した文章を、自分のサイトにアップしていた。
気楽に旅行記の下書きができるという意味では、使い勝手が良かった。
ちょっとした日記みたいなものも書いていて、かなりの人気だったが、はてなが一方的に使用を制限してきた。

たぶん政治的な発言が多すぎたからだろう。
それで、いまは、はてなを使ってないわけだ。
僕の感覚では、はてな自体、人気がなくなったのではないかな。
いまは、Google+とツィッターを書いているが、僕がすでに書いた旅行記を推敲して、アップしているだけだ。
正直、Google+やツィッターに何かを書いても、まとまりがないので、軽い日記ぐらいしか書けない。
でも別のところにメインのものを書いておいて、それを読みやすくリンクするならば、利用価値はある。
SNSは、文章の下書きをするには利用価値があるんだよね。
それで、フェイスブックを使い始めるかもわかりません。
フェイスブック自体は、僕の感じでいうと、人気はどんどん落ちているわけだけど。
正直、SNSは使い方が複雑すぎて、よく理解できないしね。
そうそう僕が基本的に言いたかったのは、ネットに現れては消えていくいろんなサービスに熱中したりせず、自分で自分の書いたものは、コントロールしたほうがいいということ。
それに関連して、「地球の歩き方」掲示板は、そろそろ終わるだろう(すでに終わっている)という話でした。
□ 「ブッダはなぜ女嫌いになったのか」 丘山万里子

仏教関連の通俗本というと、誰でも言えるような、当たり前のことが書いてあるが、実際は役に立たない。
本格的な仏教の本を昔読んだことがあるが、理屈だらけで、正直、何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
「ブッダはなぜ女嫌いになったのか」というタイトルの本を見つけたら、読んでみたくなる。
ブッダは女嫌いだったのか?
結婚もして、子供もいて、王子だったから、ハーレムに美女がいてセックスし放題。
そのあと家出(出家)して、修行をして、悟るわけだが。
ブッダが女好きでは、仏教自体が始まらないだろうが。
でも世の中には、乱交する宗教もある。
仏教の中にも、セックスを中心に置いたものもあったような気がする。
仏教について知らなかったので、この本を読んで、なるほどと思ったことが多い。

ブッダの実母マーヤーは、ブッダを生んで7日で亡くなった。
ブッダの養母マハーパジャーパティ(父の後妻)とは、歳の差もなく、小さいころから仲良しだった。

ブッダは、マハーパジャーパティを愛していて、肉体関係もあった(と、著者は書く)。
しかし、父の後妻で、自分の養母だから、愛することはできない。
ブッダは、妻を持つが、これが欲深な悪妻ヤショーダラーだ。
ヤショーダラーはブッダとの間に、ラーフラを生む。
しかし、ラーフラはブッダの子供ではなくて、別の男(デーヴァダッタ)の子らしい。
だからブッダは、子供にラーフラ(邪魔者)という名前を付けた。
好きでもない妻から、生まれた子供の父親がはっきりしないので、世の中すべてが嫌になる。
ブッダはそれが理由で、お城を飛び出した。
結局ブッダの悩みは、女性関係のものだったんだね。
確かに、若い時の男性の悩みは、女性問題だけだ。
ブッダの悩みは、生老病死ではなくて、セックスと女性関係だったと理解すれば、単純明快になる。
でもこんな単純な話で、仏教を割り切っていいものだろうか。
この程度のことなら、草食化した現代日本の若者には、とっくに理解できているような気がするが。
ひょっとしたら、日本はセックスを排除することで、理想的な仏教哲学の国家になっているのではないかな。
□ 「毛沢東 日本軍と共謀した男」 遠藤誉

「毛沢東 日本軍と共謀した男」を読んだ。
話題になっていたので、図書館でリクエストして、それほど時間がかからず手に入って、一日で読んだ。
一つには面白かったこと。
あとは、文章が平易で、論理もすんなり通っていたせいだろう。
ただ、驚きはなかった。
というのが、僕は中国共産党関連の本はいままでにもずいぶん読んでいる。
例えば、「長征」が、毛沢東の権力奪取のための行動だったという話も知っていた。
だから、毛沢東自体に、幻想を抱いていないんだ。
逆に著者は、中国にいたので、毛沢東の正しさを教育されて育った。
毛沢東が日本軍と協力していたということが事実として明らかになって、ショックを受けたのだろう。
しかし、日本の大人は、物事にはいろいろと裏があるということを、知っている。
日本人の大人は、きれいごとは全く信用していないのでは??
権力闘争の過程で、味方を裏切ったり、敵と協力したり、それはよくある話。
中国にいた日本軍も、地方軍閥と協力関係を続けていたところもあった。
ただ、毛沢東は、中国で共産党が政権を取ったのは、日本軍のおかげだと、公的に何度も発言している。
さらに、毛沢東が権力を握っていた時代には、「南京大虐殺」は存在しなかった。
誰も語らなかったからね。
結局、中国内部の権力闘争の結果として、「南京大虐殺」が宣伝されている。

それだけの話だ。
そういう解釈がきれいに成立している。
ただ、中国というのは、正しかろうと間違っていようと、信じてしまえば一気にその方向へ突き進む。
だから、事実ではないからと、無視するわけにはいかないだろう。
できるだけ、中国(それから韓国とも)深い付き合いはしない方がいいという感想です。
表面だけの付き合いをしていけばいいだけ。
□ 「地球の歩き方」が「旅仲間募集」だらけだが、旅仲間募集が絶対的に失敗する理由。
いま地球の歩き方の海外旅行掲示板の書き込みのほとんどは、「旅仲間募集」だ。
しかし、旅仲間を募集するのは大変だよ。
気の合う人同士でなければ、とても海外旅行なんかには出かけられない。
一般的には、同じ部屋に泊まることになるだろうが、知らない人と一緒の部屋に寝るなんて、ある意味罰ゲームだ。
僕は、世界各地で、ケンカ別れをした2人旅、3人旅の旅行者をたくさん見てきた。
伝説の安宿「ホテル加宝」でも、同室に泊まっている2人は必ず仲が悪かったものだ。
恋人同士でも、一週間も一緒にいれば、ケンカをする。
ケンカをして恋人関係が終わることもあるだろう。
新婚旅行に出て成田離婚になる実例は、ロサンゼルスのガイドさんからも聞いた。
海外旅行に出て、2人きりになるというのは、ものすごく危険な行動だ。
知らない人と気が合うかどうか、旅に出る前に会って確かめようと考える人もいる。
でも同じ部屋に泊まったら、洗面台の使い方や、風呂の後始末の仕方なんかの本当に細かいところが気になって嫌いになったりする。
僕が知っているのでは、夜に日記をつける人がいて、眠れないという苦情もあった。
朝起きるのが遅すぎて、海外旅行の計画が消化できないという文句もでた。
こういう細かいことは、海外旅行に出て初めてわかることで、出発前にいくら話をしても、確認できるものではない。
だったら最初から、別の部屋に泊まった方がスッキリする。
別々の部屋に泊まるのならば、いつも同じ行動をとる必要もない。
現地の人と友達になって、ワイワイやっていればいい。
旅に出る不安というものは、実際に旅に出て3日もすれば、無くなる。
1人で何でもこなせるようになる。
で、3日も一緒にいたら、それはそれで、人間関係に飽きがくる。
3日一緒だったら飽きが来て、3日たてば、旅慣れて一人旅ができる。
最初から旅の同行者というのは、3日程度の付き合いで終わるもの。
それがわかっていれば、わざわざ苦労して旅仲間を見つけて、旅の時期を合わせるなんて面倒なことをする必要もない。
現地で偶然会った人と、食事をしたり、話をしたりすればいいだけ。
偶然出会った人ならば、どんなに気が合わない人でも、そういう人だったんだと、受け入れることができるもの。
海外旅行に出る前に、日本でアレンジした人と気が合わなかったら、悲劇以外の何物でもない。
だから最初から、旅には一人で出た方がいい。
旅先の出会いを、信じる気持ち。
それが持てないなら、一生本当の旅はできないだろう。
□ 「4travel」というサイトは、人気があるのかどうか、わからない。
僕はいま、「4travel」というサイトに、各国別に一つの旅行記をアップしている。
その理由は明確で、僕が100か国を超えて旅行したことが一目でわかるようにするためだ。
ネットは、案外不自由なもので、一番の問題は、ネットに情報が多すぎること。
どうでもいい情報がたくさんあると、知りたい情報が、どうでもいい情報の中に埋もれてしまう(涙)。
例えば「世界旅行者みどりのくつした」に興味を持った人がいたとして、その人が僕について知りたい情報は何だろう。
海外で、どんな女性と付き合ったのか、どんなシチュエーションで出会って、何が起きたのか、みんな知りたいだろう。
でもそんなことは、書きません。
普通は、「何か国旅をしたのだろう?」程度のことではないかな。
自称旅行通、旅行ベテランというのは、嘘つきだらけだった。

僕のベストセラー「間違いだらけの海外個人旅行」にも、「長期旅行者はみんなウソツキ」という項目があるくらいだ。
僕は、自分の書くことは、ウソがないように注意している。

僕の旅行国数が100か国を越しているのは、間違いない。
僕のメインサイト「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」を丹念に読んで、数えてみたらわかるだろうか。
僕は、正確な数がわからないように書いているので、調べても正確な数は、わかりません。
国の数の数え方は、いろいろ問題があるんだね。
例えば、タヒチを国と数えていいのか、フランスと考えるのかという問題がある。
僕は厳密に数えていたから、「タヒチはフランス領ポリネシア」と考えていた。
つまり、タヒチはフランスと考えていたわけだ。

でも一般の人は、わざわざ南太平洋のタヒチまで旅に出たのに、旅行国数が増えないのは我慢できないだろう。
だから、僕も4travelでは、タヒチをタヒチとして数えることにしている。
4travelというサイトの数え方に合わせているわけだ。
ここのところは、僕のオリジナルな数え方と違っていても、文句を付けないでください。
僕の意図としては、4travelというサイトで、一目で僕の旅行国数が100か国を越えているとわかればいい。
ということは、僕はアメリカに十数年間毎年行っては1か月ほど滞在していたが、その話は書かないということです。
興味のある人は、僕のメインサイト「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」を読めばいいだけの話なのでね。
4travelのいいところは、アップした旅行記それぞれのアクセス数が表示されること。
これはとてもいいと思うが、上位30位までしか出てこない。
これだと、アップしたばかりの旅行記にいくつアクセスがあったかわかりにくい。
それで、いま、アップする旅行記の数を減らしています。
それに、4travel自体、どれほど人気のあるサイトなのか、読み切れてないんだよね。
ま、どうでもいいことなんですけどね(笑)。
だいたいそんなことろです。
□ 「地球の歩き方」掲示板は、終わったね。
旅好きで、ネットをやっている人なら大体は、「地球の歩き方」掲示板を知っている(知っていた)だろう。
僕も掲示板の創成期、誰もまともなことを書かなかった時代から、よく知っている。
ある意味、僕が「地球の歩き方」掲示板を育ててきたともいえるだろう。
ま、「地球の歩き方」のスタッフは、素人さんなので、その恩を知らないようだが(笑)。
とは言っても、僕も「地球の歩き方」をいろいろ利用させていただいた。
僕はどこでも自分が正しいと思うことを書くので、「地球の歩き方」のスタッフには、面倒だと思われたりしたようだ。
2年ぐらい書き込まなかったが、今年になってちらほら書いていた。
それはただの暇潰し。
素人旅行者の皆様と、本気で論争する気もないからね。
だからいまは、コメントは付けることはあっても、反論にこたえることはない。
反論も何も、海外旅行では、旅行者の旅行国数が絶対的な基準だ。
20か国にも満たないド素人旅行者が、わけのわかったようなことをグダグダ言ったところで、まともな旅行者からは完全に馬鹿にされるだけ。
ところがこのところ急激に、「地球の歩き方」のアクセス数が減少していると感じている。
実際、「地球の歩き方」で質問をしても、まともな回答は得られない。
しかも、現在は、「旅仲間募集」だけがにぎわっている。
ただ、実際は、旅仲間を見つけた人はいないだろう。
「地球の歩き方」掲示板で、旅仲間が見つかるという幻想もまた、崩れているのではないかな。
実際、旅の途中で偶然出会った人は、どんな人でも、いい思い出になる。
でも、日本から一緒の旅に出た人の人間関係は、ほとんど数日で崩壊するからね。
それは、僕の旅行記の中に、数えきれないくらい、実例が示してあるわけだが。
つまり、「地球の歩き方」掲示板は、すでに終わっている。
それがみんな、やっとわかってきたようだ。
□ 僕のサイト「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」のURLが変わったのを理由に、友達に連絡を取るのはいい考えだ。
僕はこの3年くらい、年賀状も出してない。
でも出す気がないわけではなくて、一応年賀はがきは買ってるんだ。
ところが、僕はちょっと変わってないと出す気にならない。
それを考えているうちに、出しそびれてしまう。
年賀状を出さなかったのをフォローするために、6月になると、カモメールを買ってくる。
暑中見舞いでも出そうかというわけだ。
ところが、面白いネタもなくて、出せないままなんだよね。
もう9月も終わりになってしまった(笑)。
僕のサイト「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」のURLが変わったのを理由に、連絡を取るのは、いい言い訳になる。
固定電話の番号が変わったのも、知らせておく必要はあるしね。
と考えながら、だらだらと過ごしています。
まあ、昔の旅行記を読むと、「明日やれることを今日やってはいけない」なんて、堂々と書いてあるからね(笑).。
それが僕の生き方。
適当に生きていれば、適当に決着がつくんだと思うけどね。
□ 図書館へ行って、英語のクロスワードパズルを解くと、充実していると感じる。
しばらくクロスワードパズルをやってなかった。
が、久しぶりにやると、面白いね。
僕がやってるのは、アメリカ製のパズル雑誌なんだけれども、問題は、米国の芸能人の名前とか、テレビ番組の名前とかが要求されること。
それも、パズルが難しくなっている原因なんだが、易し過ぎるパズルというのもつまらないので、適当でいいでしょう。
僕は昔からやってたので、案外アメリカの芸能人の名前は覚えてるんだ。
顔は知らないけどね(笑)。
なるべくインターネットから離れないと、だらだらモニター眺めてるだけで、時間が過ぎていく。
どうしてなのかな、結局インターネットが小手先の変化をしだして、興味を引いてるってことなんだろうけれど。
□ インターネットでは、ブログやSNSに書いてもいいが、データを自分独自のサイトに残しておかないと、すべて消えるよ。
ニフティの「@homepageサービス」が9月いっぱいで終了する。
それで、「@niftyホームページサービス ミニ」に移行することにした。
以前の僕のサイトのアドレスは、「http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/」で、スッキリしてなかった。
だから今度「http://midokutsu.travel.coocan.jp/」に移行できて、美的にも良くなったので、うれしい。
これは、ホームページを移行するだけの話だから、問題はない(若干の問題はあったが、わかる人にはわかっているので書かない)。
自分のサイトを自分で作っているから、すべてのデータは、パソコン内に存在している。
FTPソフトで、パソコンのフォルダーにあるデータをそのままアップしているだけ。
だから、あるサイトから、別のサイトへそのまま移行することもとても簡単だ。

僕は、「世界旅行主義」(http://midokutsu.at-ninja.jp/)という名前のサイトも持っていて、こちらもフォルダーごと新しい場所に移すのは簡単だ。
でも、これが、ブログやSNSだったりすれば、データを自分で所有できない。

だから、ブログやSNSのサービスが終了してしまえば、すべてが消滅する。
あるサービスがどんなに流行していても、ネット社会ではあっという間に人気が無くなって、別のサービスに人気が移る。
一つのネットサービスに頼ったりせず、自分のすべてのデータは、自分で管理できるように、しておくことだ。
特に旅行記なんかの貴重な文章を、ブログやSNSにアップしたら、同時に自分のサイトにアップすること。
旅行記を書けるサービスはあちこちに、いろいろあるが、そのサービスが消滅した場合、すべて消えてしまうからね。
旅行記を書くというのは、大変な努力、労力が必要だから、サービスが終わって消えてしまうのだけは避けるように。
今日あるサイトを見ていて、サービスが良すぎて、そのサイトに頼っている人が多いなと感じた。
でも逆に、とても危険です。
□ まず「書いてみる」生活 鷲田小彌太

図書館へ行って、なにか暇潰しに読める本を、いつも捜している。
新書が並んでいる書架で、「まず書いてみる生活」という本を見つけた。
著者は鷲田小彌太という人。
今まで全く聞いたことがない名前だが、本の内容としては、「誰でも本を書けますから、どんどん書いてみましょう。定年後の暇潰しにもなるし、ボケ防止にもなる」という本だと思った。
暇潰しに読むにはいいだろう。
なかに一つくらいは、役に立つことがあるかもしれないし。
ところが、内容は「自分の本が出るとうれしいですっ!」だった(驚)。
だから本を書けと進めているわけだが、普通の人は人に語るテーマなんか持ってないから、出版の可能性はゼロだ。
だから、まず、書くテーマを見つけることが問題。
テーマさえ見つかれば、それに沿って書くこともできるだろうからね。

まず、テーマの見つけ方を書くべきでは?
それからテクニックに入って、一冊書き上げる。

次は、それを出版にこぎつける方法。
お金のある定年退職者も多いから、自費出版を考えてもいい。

ネットでの出版も可能性がある。
そういう流れで説明しないと、自分だけの思い込みが書いてあるだけでは、苦笑いしかできない。

ただ、自分が最初の本を出した時にうれしかった話だ。
文章にも知性が感じられない。
調べてみると、有名人の批評を主に書いている人らしい。
その他には、「大学教授になる方法」だとか「大人のための議論作法」だとか、薄っぺらなハウツー本を書いているようだ。
僕が感じたのは、著者は、本のタイトルを付けるのがうまいので、タイトルだけで売っているのではないかということ。
読者は、いかにも面白そうな、いかにも役に立ちそうな、タイトルに魅かれる。
読んでみて中身がつまらなくても、文句は言わない。
無視してしまう。
鷲田小彌太氏は、そういう本を専門に書いてきたのではないかな。
たしかに、出版社も出す本すべてに本気で力を入れているわけではない。
タイトルさえそろえば、その日ぐらしはできるわけだ。
このレベルの本を好む固定ファンもある程度はいるだろうし、タイトルに騙されてついうっかり買ってしまう人もいるだろう。
それだけの本です。
詳伝社もこんな本を出しているようでは、先はないと予言しておきます。
□ インターネットが面白くなくなったのは、新しさが感じられないから。
家入一真の「さよならインターネット」を読んだときに、思ったこと。
いまネットで何をしても、特別に新しいことだと感じないこと。
新しいサービスが始まっても、なるほどと思うだけで、特に新しさはない。
例えば、家入の友人が始めたサービスにしても、いろいろ紹介しているが、一般社会には影響を与えていない。
mixiもGREEも中身が変化して、潰れかけたSNSであったり(mixi)、ただのゲームサイト(GREE)になったようだ。
僕はどちらにも参加したことがあるが、いまは止めている。
フェイスブックも、友人関係で作ってはいるが、フォローしているのは、その友人1人だけだ(実質的には動いてない)。
止めてないのは、名前を検索する人がいるかもしれないので、利用価値があるかもしれないと生かしてあるだけ。
ツイッターもGoogle+もやっているが、誰かとつながるのを目的にするのではなく、僕の旅行記の宣伝のためだ。
Google+ではHKTのメンバーを10人ほどフォローしている。
ツイッターでは、NMBのりりぽん(須藤凜々花)1人をフォローしている。
だから、SNSとしては全く機能していない。
僕にとってインターネットは、ただ自分の旅行記をアップするためだけに存在する。
ニュースを読んだり、動画サイトを見たり、ネットの海外旅行掲示板に書いたりするのは、ただの時間潰しだ。
僕にとって、ネットはほとんど意味がない。
僕は旅行記を書いてアップするのが目的だが、普通の人は、友人とつながるのが目的なのだろうか?
普通の人にとって、ネットをやる意味はないと思うのだが。
そこで、ネット以前の「パソコン通信」時代を考えてみる。
あの時代は、とにかくパソコン通信が新しくて、何か面白いことがあると信じられていた。
だから、ニフティサーブのフォーラムに集まった人たちは、時代の先端を進んでいると思っていて、オフ会なので直接会って、盛り上がっていたものだ。
パソコン通信(僕はそれ以前のワープロ通信からやっていたけどね)の参加者は、それほどたいした人物はいなかった。
実際にオフ会などで会っても、感性も平凡だし、知的レベルも低かった。
知的レベルが低くても、本人たちは、先鋭的な活動をしていると、思い込んでいた。
パソコン通信から一般メディアに名前が売れた人もいるがわずかだ。
僕自身も、ニフティの「メディアマンフォーラム」で、海外旅行会議室の責任者になって、旅行記を書いていた。
2000年ごろに、僕の「間違いだらけの海外個人旅行」が宝島社から出版されることになったのも、ニフティで名前を売ったからだ。
パソコン通信からインターネットの時代になり、常時接続状況になると、多くの人が参加するようになり、新しさは無くなった。
参加者も、普通の人になり、常識的な考え方をするようになり、すべてが退屈になる。
この退屈な状況で、新しいサービスを始めても、だれも驚きもしないし、話題にもならない。
インターネットは、退屈な日常にすぎなくなったわけだ。
インターネットの時代は終わった。
家入一真は、そういったことを、言おうとしたんじゃないかと思うのだが。
実は最後の方は斜めに飛ばし読みをしたので、ちゃんと理解してませんが。
その程度の話だと思うよ。
□ 「セックスレス亡国論」 鹿島茂

著者の鹿島茂は、僕と同年代の仏文学者。
東大卒で頭がいい人が、ある特別な考え方を使って、現代のセックスレス社会を考えている。
だから考え方がスッキリと割り切れて、面白い。
しかし、いやにスッキリと割り切れて、これでいいのだろうかと、不安になる。
著者は論理をもてあそんでいるだけで、本気で考えているわけではない。
ただ、話は面白いので、すいすいすらすらと読める。
例えば酒の席で、女性とセックス論を語るにはちょうどいい感じの論理。
問題は、著者は論理で遊んでいるだけで、本気で考えていないところ。
□ サイトのURLが変わりました。
ニフティが古いホームページサービスを終了し、新しいサービスに統合することになりました。
僕の古いサイト「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」も、新しいサイトに移動しました。
URLが変更になり、「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」となりました。
ブックマークの変更など、お手数ですが、よろしくお願いします。
古いサイトへ入ると、新しいサイトのトップページへのジャンプするようです。
僕としては新しいサイトの容量が増えたので、満足です。
僕としては、昔のように、独自ドメインにしても良かったんですが、いまさらサイトのURLに凝る時代でもない。
サイトの更新をやめる場合は、どこかの無料サイトに移動する可能性もあります。
そういうお知らせは、「世界旅行主義」でやります。
世界旅行者みどりのくつしたの部屋」と「世界旅行主義」をチェックすれば、だいたいの動向はわかるようになってます。
これからも、よろしく♪
□ 家入一馬 「さよならインターネット」を読む。

図書館にリクエストした本「さよならインターネット」が来たという連絡が入った。
そこで、図書館へいま行って、借りだして読んだ。
2時間で読めたね。
たいした内容はない。
前半は、これまでの本の焼き直し。
後半になって、本題に入るが、結局インターネットがつまらないという話だね。
昔は、興味深い人もいたし、新しいことも起きた。
でも、ネットに普通の日本人が参加してくると、普通の日本社会とおんなじだ。
インターネットが一般化したら、面白くもおかしくもないという話。
ということでいいんじゃないでしょうか。
□ インターネットはだらだら時間潰しにはなるんだ。
今朝、インターネットを見たが、面白い話が一つもない。
僕がいつもチェックするのが、「NMBとまなぶくん」だが、面白い回と、つまらない回がある。
今日見たのは、パンの話で、面白くもおかしくもなかったが、一通り見るだけは見た。
ただ見返すことはないだろう。
ニュースもつまらないし、どうでもいい芸能スポーツ情報が入ってしまう。
海外旅行掲示板を見ると、面白いネタがない。
旅の質問をする人がバカなので、質問自体があいまいで、読んでも役に立たない。
質問者について、頭が悪いことだけしかわからない。
ネットの海外旅行掲示板は、旅仲間募集だらけで、しかも旅仲間は見つからない。
なぜかというと、自分の写真もアップしなければ、個人情報も全く出さないからだ。
誰か全くわからないのに、一緒に旅に出る人が見つかるはずがない。
それもわからないほど、知的レベルの低い(常識の欠如した)人たちだらけだ。
これだったら、英語の本でも読んでいた方がずっと役に立つわけだが。
ただ、インターネットであちこちさまよっていると、暇潰しにはなってしまうんだよね。
しかも努力は不要だし。
ナマケモノには、時間潰しになるわけだが。
まずい、まずい。
やるべきことがたくさんあるのに、ネットで時間潰しをしていてはダメだ。
と、改めて思います。
□ いまのインターネットは、だらだら惰性で続けているだけだ。
僕はテレビを持ってない。
地デジになったときに、テレビは捨てた。
もともとテレビは見たりせずに、時計代わりに使っていただけだったから。
僕の場合は、ネットでは、「自分の海外旅行記」を書いて、それを自分のサイトにアップするという、一応の目的がある。
それだけだね。
ニュースはチェックするが、知ってもつまらないことだらけで、ほとんど意味はない。
スマップがどうしたこうしたとか、リオオリンピックで誰がメダルを取ったとか。
年末には忘れ去られるレベルの、どうでもいい話だ。
僕は朝一でコンピューターを立ち上げるから、あちこち見て回るが、どこもつまらない。
SNSで、AKBGのメンバー何人かをフォローしているので、それは読むが、面白くはない。
僕にとってインターネットをやる意味はない。
あとは、時間潰しだね。

YOUTUBEをはじめとする動画サイトで、面白そうな動画を見る。
面白い動画というのは、捜せばあるわけだが、本当に面白いかどうかとなると、暇潰しにだらだら見るにはいい程度のものだ。
動画が見れなくても何とも思わない。
ただ、夜になんとなく過ごしているとき、眠れないまま、だらだらと動画を見続けてしまうことはよくある。
これはマズいと思っている。
本を読んでいた方が意味があるからね。
2000年前後が一番面白かったんじゃないかな。
知らない人から、突然、長文のメールが届いたりした。
中身を読むと、いろいろあったが、単純な海外旅行相談にしても、真剣で、長文なので、いろいろ考えて興味深かったよ。
いまは、メールが来ても、短くて、面白くない。
「会いたい(ビールをおごります)」というメールが来ても、特徴がなければ返事しないので、そのせいもある。
ただ、全体的にそういう気分にならないってこと。
ネットで変わったことが起きるってことはなくなった。
退屈な日常がだらだら続くだけだ。
ネット参加者の知的レベルは、非常に低くなり、平均的な日本人に近くなった。
面白いアイディアを持っている人も、変わった感覚の人もいない。
ただの退屈な日本人だ…(涙)。
僕としては、多分ネットをスパッとやめた方が、日常は面白くなるのではないかな。
本も読めるし、トレーニングもできるわけだし。
□ インターネットは正直面白くない。
「インターネットは、正直、役に立たない。もう終わりが見えている。」でも書いたが、インターネットをやっていても、ちっとも面白くない。
ただ、惰性でやっているだけだ。
何度も書いているように、僕がインターネットをやっている理由は、僕の海外旅行の記録を読んでもらいたいから。
僕の海外旅行記というものは、自分で言うのもなんだが、「みどくつ節」と呼ばれて、異常に面白かった。
それは、思ったことをズバリと断定し、社会批判もたっぷりで、わざと曲がりくねった奇妙な理論を展開し、その上に下ネタばっかりだったから。
批判を気にせずに思ったことを書くのだから、面白くないわけがない。
わざと馬鹿なことをまじめに書いていたから、知的な人には非常に評判がよかった。
ただ、頭の悪い人たち(普通の日本人のレベル)はなぜか、怒るんだよね(涙)。
そのスタンスが、ずいぶんな批判を受けた。
批判だけなら構わないが、いろんな妨害を受けた。
妨害を避けるためには、表現をネットで受け入れられるようなレベルに、抑えることになる。
これで僕の文章は、面白くなくなったわけだ。
僕はいろんな興味深い話を持っているが、それをそのまま書くと問題が起きる。
僕としては、海外旅行記を書いて読んでもらえればそれが一番なので、面白さを押さえてしまった。
ネットでの自分の旅行記がそれほど面白くなくてもそれでいいと考えている。
でも昔のような満足感は得られてないんだ。
僕の旅行記は、だらだら書いていても、興味深い、いろんな情報が詰まっている。
本来のものは、もっととんでもなかったわけだが(笑)。
もちろんネットで書いたものに手を入れて、面白さをグレードアップさせることは可能だ。
ネットでは表現が制限されているので、紙の書籍として出版する場合は、何とかなると思う。
興味のある出版社は、連絡ください。
ネットでは、表現の自由に制約があるので、面白い旅行記はかけないという、ありがたいお話でした。

□ 「世界旅行者のひとりごと」の目次を整理したら、スッキリしました。
整理後の「世界旅行者のひとりごと・目次」
こちらの「世界旅行主義」のサイトも、全体的に、整理するつもりです。
特に英語論や、英語の勉強の仕方なんか、きちんと話しておきたいからね。
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